体調イマイチ以下の中、PCの蓋を開け、Yahoo!ニュースを見たら
キャメロン・ディアスとベンジー・マッデン、結婚!
Movie Walker 1月6日(火)12時39分配信
昨年5月から交際を始め、12月に婚約したと伝えられているキャメロン・ディアス(42)とベンジー・マッデン(35)が、ビバリーヒルズの自宅で現地時間の5日夜に式を挙げた。
【写真を見る】キャメロン・ディアスの結婚相手はロックバンド“グッド・シャーロット”ボーカル、ベンジー・マッデン
ピープル誌などが報じたもので、「ふたりは先週末に、ベンジーの双子の弟のジョエル・マッデンや妻のニコール・リッチーら家族、そしてキャメロンの親友ドリュー・バリモアらと一緒に打ち合わせをしていました」
「3日の夜には少人数でレストランIl Cieloを訪れ、バラの花びらやキャンドルで飾られたロマンティックなテーブルでお祝いをしているようでした。キャメロンは、女友達らとバチェロレッテ・パーティを楽しみ、4日の夜は彼女たちとホテルに泊まって独身最後の日を楽しんだようです」
「5日早朝から、ベンジーとキャメロンの住むゲートコミュニティの敷地内に、レンタルトラックで白い花が運びこまれ、リース・ウィザースプーンやアン・ハサウェイ、ナタリー・ポートマン、ドリュー・バリモアらのパーティを手掛け、今回リハーサルディナーの計画を立てたウェディング・プランナーも到着していました。敷地内には大きなテントが張られ、準備は着々と進められました。ゲストはリース・ウィザースプーンやグウィネス・パルトローら100人くらいだった」という。
キャメロンは、ウェディング・パーティと悟られないように地元住民には、「ゴールデン・グローブ賞のリハーサル」と言っていたようで、暗くなってからのスタートだったようだ。
婚約についても正式に発表していないふたりとあって、挙式についても正式発表するかは不明だが、婚約時に「挙式はすぐ」といわれていた通り、婚約から1か月も経たないうちに式を挙げることになった。【NY在住/JUNKO】
( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150106-00000007-mvwalk-movi )
まだ42歳だったのか、もう42か~、どう取るかは個人差激しいと思われる
昔は可愛かった?
‘マルコヴィッチの穴’(1999年)Being John Malkovich - Trailer - HQ
化粧せずスッピンの方が可愛かった。それが、個人的見解である
ニュース記事へのコメントに
「ま、行くなら今、年貢の納め時、ってとこだった・・・が、正解だろうね、42歳!」
ハリウッド女優の場合、正しく賢明な決断と言えよう
ニコール・キッドマンのような、美人ながら若い時から演技派女優は別物よ
オーストラリア映画で実績を積み、元亭主のトップガン野郎なんざ足元に及ばぬ実力の持ち主
しかしハリウッド進出当時は、彼女を米国に招いたトム・クルーズのおかげ様やろの側面が強く
いわゆる型通りの美人女優として平凡なキャリアに甘んじた
それが2001年の離婚を機に、充実したキャリアを開花させ
以降、米国を代表する演技派女優として変身を遂げた
1967年6月20日生まれ、今年は年女ね
子供欲しさ?での若い嫁とも離婚した元亭主はアホと笑い、42歳で産んだ娘他の子供と仲良くね~
さよう、女は42歳という年齢でも、条件揃えば、まだ十分に子供望める
44歳で娘産んだ友だちいるけど、その辺の若い尻軽シンママが産んだ豚児よか健康優良児だわ
(男女共同での育児を軽視するゴミ女から、親を超える子供が育つわけ無い。アタシの信念である)
不妊治療が実を結び、50歳過ぎて息子産んだラジオパーソナリティいたような?
子供出来ないのは嫁が不妊でなく、亭主オマエが種無しだろのケースもあるしね(参照)
ディアスちゃん、子作り狙ってますか?
イイ年しての初婚に加え、離婚は社会人として恥であるの大原則わかってりゃ、狙ってもいいよ
失業対策に、「家庭優先してますから」、落ち目女優の定番だもの
ジュリア・ロバーツをご覧なさい
2001年、‘エリン・ブロビッチ’でアカデミー主演女優賞受賞した
最初からスター街道歩まないタイプ以外の若年でのアカデミー主演女優賞受賞は大抵
「女は若さが通じなくなると、用は無い」、男性原理社会であるハリウッドの肩叩きである
・2002年、映画カメラマンのダニエル・モダーと不倫の末に略奪婚
・2004年11月に男女の双子を出産、2007年6月18日に次男を出産
1967年10月28日生まれを考えれば、仕事激減する40歳を念頭に置いて?
1976年3月22日生まれのリース・ウィザースプーンには、20代で産んだ子供2人いるが
36歳の時に産んだ二男を思うと、こちらも40歳対策を邪推したくなる
1981年6月9日生まれのナタリー・ポートマン、その亭主でいいの?
糟糠の彼女である地味な踊り子を捨て、華やかな映画スターに乗り換えた軽薄野郎っぽいじゃん
あ、だから子供産んで、腐れシンママを正当化させる保険かけてると言えるかしらん
アカデミー主演女優賞女優といえば
1948年6月28日生まれのキャシー・ベイツ、受賞当時、42歳手前
舞台女優としての実績は高かったものの、映画では1971年の端役デビュー以来地味な存在であった
人気作家ポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)は自らの超ベストセラー・シリーズミザリーに、主人公ミザリーを死なすことで終止符を打ち、コロラド山中のロッジにこもってかねてより念願の私小説を書き上げたところだ。しかしそれを持って車で猛吹雪の中ニューヨークのエージェントに向かう途中、雪道から転落してしまう。瀕死の彼は付近に住む元看護婦でポールの熱烈なファンだと名のるアニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)の献身的な介護を受ける。しかしミザリーシリーズの最新刊を読んでミザリーの死を知るとアニーの態度は一変した。大声でポールを罵倒すると、部屋の鍵を閉めて彼を閉じ込めたのだ。両足を骨折した彼にはなすすべもなかった。そしてさらにはアニーは彼に出来上がったばかりの私小説を燃やすよう強要する。やがてタイプライターと車イスを買いこんできたアニーは今度は猫なで声でミザリーを生き返らす続きを書くよう言うのだった。彼女の機嫌を取って脱出の機会をうかがうつもりでポールは言う通りにするが、試みは全て失敗に終わった。そしてアニーのいないすきにこっそり部屋を抜け出した彼はアルバムの切り抜きから彼女がかつて何度も殺人を犯した精神異常者であることを知り、身の危険を感じて包丁を身に忍ばせるが、逆に彼女に回復しかけた足を完全につぶされてしまった。その頃ポールの失踪に不審を覚えた地元の保安官バスター(リチャード・ファーンズワース)が捜査を始め、ついにアニーの家を訪ね、ボールを発見するが、アニーに撃ち殺されてしまった。アニーのポールへの、というよりその作品と才能への偏執的な愛は、それが異常なものであるだけ一層深かったのである。彼女はポールに一緒に死のうと迫る。ポールは今書いている「ミザリーの復活」が完成するまで待ってくれと言い、書き上がった瞬間原稿に火を放つ。そして一瞬彼女が放心したすきを突いて、猛烈な格闘の末、決死の脱出を果たすのだった。
( http://movie.walkerplus.com/mv8683/ )
こんな世にも恐ろしか鬼女を演じて絶賛されたら普通、同種の役しか依頼来なくなるもんだ
ところがキャシーおばさんの場合、ミザリー系はその後演じていない(Kathy Bates Stops By!)
歌って踊れる喜劇女優の才能も十二分(Little Girls song from the 1999 Annie Kathy Bates)
オスカー像が足枷にならず、キャリアを開花させた
若い美人であれば強力なのは確かながら、出来る女って、年齢や美醜に左右されないものなのよ
BETTE DAVIS SINGS "I've Written A Letter To Daddy" from "Whatever Happened To Baby Jane?"
What Ever Happened to Baby Jane? - Final Scene
1917年のこと、ジェーン・ハドソンはわずか6歳にして、すでに人気者であった。ヴォードヴィルの舞台に立って愛らしい姿と歌で客を楽しませる、「ベイビー・ジェーン」として喝采を浴びていたのだ。
しかし、その輝くような舞台を羨望と嫉妬で見る目があった。姉のブランチである。ジェーンは舞台上だけでなく、そこを降りた後も家族から特別な扱いを受けるが、ブランチは公私にわたって妹の影に隠れ、誰にも省みられない。
しかし大人になったころ、ジェーンとブランチの立場は大きく変っていった。映画の時代になると、ブランチは実力派の女優としての評価を得るが、ジェーンの人気は遠い過去のものとなり、俳優としても能力が無く、素行にも問題があるとされて仕事から外されていくようになったのだ。大スターの姉と、仕事もなく酒びたりの妹、二人の立場は完全に逆転していた。
そんなころ、嫉妬にとらわれた姉妹の間にその痛ましい事件は起きた。殺意に満ちた自動車が相手を轢こうとして猛り、結局は狙った側も狙われた側の運命をも引き裂いてしまった。間一髪で難を逃れたブランチではあったが、この事件で背骨に傷を受けて歩くことが出来なくなり、ジェーンはその責めを負うかたちで姉の面倒を見ることになった。
こうして表舞台から消え、二人だけの世界に入った姉妹だったが、しかし姉に対するジェーンの呪詛は何年が経ようと消えず、やがて姉の人生を支配する醜く陰湿な暴君へと変貌していく。
ジェーンは、ブランチの可愛がっていた小鳥を昼食として供したのを皮切りに、ネズミを食事に出すなどしてブランチを精神的に追いつめる。そして、ジェーンの留守中にブランチが隠れて医者に電話で助けを求めたことからジェーンの怒りが爆発、ブランチを部屋に監禁する。更にジェーンは監禁に気付いた家政婦のエルヴァイラを殺害し、遺棄してしまう。芸能界への復帰という妄想を抱き始めていたジェーンは、売れないピアニストのエドウィンを雇っていたが、その彼もブランチの監禁に気付いてしまう。追いつめられたジェーンは瀕死の状態にあるブランチを連れて車で逃げ出す。エルヴァイラの死体が見つかり、ジェーンがブランチを連れ出して行方不明になっていることが新聞やラジオで報道される。そのころ、ジェーンは海辺で子供のように遊んでいた。ブランチは息も絶え絶えにかつての自動車事故の真相をジェーンに語る。
実は、あの事故はブランチをパーティでバカにしたジェーンをブランチが轢き殺そうとして起きたもので、ジェーンは咄嗟によけて無傷だったがブランチの運転していた車は柱に激突し、そのために下半身が不随となったのである。ジェーンは恐怖から咄嗟に逃げ出し、ブランチは車から這い出たところを発見されたため、ジェーンが犯人にされ、ブランチは酔っていたジェーンに事故当時の記憶がないことをいいことにジェーンの起こした事故としていたのだった。ブランチがジェーンに詫びると、ジェーンは穏やかな表情で「アイスクリームを買ってあげる」と言って売店に向かう。その帰りに警官に見つかったジェーンは、自分を取り囲む人々を前に子供の頃のように軽やかに踊りだす。警官は瀕死のブランチをようやく見つける。
( Wikipedia:何がジェーンに起ったか?より引用 )
1962年の、どない考えたかてホラー映画
ベティ・デーヴィス、 1908年4月5日生まれだから、ジェーンを演じた当時54歳
‘青春の抗議’(1935年)、‘黒蘭の女’(1938年)でアカデミー主演女優賞受賞した大女優
しかし1940年代後半以降、ヒット作品に徐々に恵まれなくなり
1949年に所属会社ワーナー・ブラザーズを離れてからは、年齢的な事もあり
フリーの立場で仕事を続けていく事となる
一説によれば、1950年代後半だったか、「仕事下さい」との新聞広告を出したそうな
広告の真偽がどうあれ、役に恵まれず困っていたのは確かね
フリフリドレス纏って脳内お花畑に舞い遊ぶ老婆役なんて
当たれば救いあるが、外れれば即刻キャリアが絶たれ末代までの汚点となる覚悟居る
喜んで演じる女優おらんがな
ベティさんは大女優なればこその自信ですかね、見事に演じ切り
起死回生の大ヒットを記録し、更に一癖ある独特の性格女優としての真価を発揮するに至った
若手美人女優がブッサイクに化けて汚れ役挑戦しオスカー受賞とか、まだまだ甘いわ
従来の位置へと戻れる余地持つ間は小娘の域を出ないの意味よ
退路を自ら断てるか?
不退転の決意が見られるかが、女優として成長と円熟、そして評価の鍵ね
最後に、蛇足ながら
mathichenさんが自前のPCを購入、Yahoo!本館を開設したのは、2008年12月23日
1966年2月1日丙午生まれだから、42歳での事だった
PC相変わらず弱いけど、数個もブログ営業中、スゴイと思わない?
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人と言うが
天才以上の天才って大器晩成型だと確信する、2016年には50歳を迎えるアタシである